大学2年になるときの春休み

 当時杉並区阿佐ヶ谷に住んでいた大学2年になるときの春休み、ある方の依頼で千葉県の西船橋駅の小さい工場でアルバイトをしたことがあります。ホテル街のいかがわしい街並みの中にある工場の中の小さな1室。依頼者の勘違いで私が理学部在籍ということで紹介をいただきました。アルバイト内容は、宇宙開発事業団の日本版スペースシャトル開発に携われるというものでした。実際には40センチくらいに大きさのアルミで加工されたスペースシャトルの模型にパイプ穴がたくさんあいていて、それにアルミパイプを通す仕事でした。真空でどのような空流ができるかを見るためのモデル。現在ですらスペースシャトルの形状をアルミで削り出すのは難しいのに、30年前にあの形状を作ってさらにパイプ穴をどうやって通したのか、今でも不思議に思っています。

 この工場には、Y社長、魔法使いのようなCAD仙人のSさん、同郷山梨の高校を卒業したCADのお兄さんCさん、経理の新入社員のGさん、高専を卒業したばかりで私と同世代で社会人として先輩のY2さん、事務所のIお姉さんとバイトの私しかない会社でしたが、お客さまは三菱重工、三井物産、現在はボーイングになっているロックウェルとか、世界に名だたる会社ばかりでした。取引先の名前にワクワクしていつかかかってくるかもしれない電話応対のために隠れて必死こいて英語を勉強してました。

 あるとき、CAD仙人のSさんから「今度Jリーグの応援グッズのデザインを頼まれたんだけど、どんなのが面白いと思う?どんな形でもいいよ。」と言われました。唇からラッパの先まで全部ハート形のプラスチック製の鳴り物ならJリーグだけでなくプロ野球の応援団なんかにも手に取ってもらえるかもしれないですねと伝えたら、その日のうちに3D CAD(CATIA)で図面を起こし、翌日夕方までに試作機になっていました。実はこれが日本初の光造形システムと名付けられた機械で作られた試作機で、現在では3Dプリンターとして世に出ているものです。社長からはこのシステムなら脳内部を含めた模型も製造できて、将来は我々が何億人もの人々の命を救うことができるかもしれない機械だとものすごい熱量で説明を受けました。

 私が初めて接した製造業の社長がこの社長です。休み時間にトランプをして社長が負けてると悔しくて休み時間終了が守れないほどの負けず嫌い。トランプ終了の時間は申し訳ないけどバイトの尾形さんで決めるようにお願いしますとIお姉さんから指示されました。社長はとにかく負けず嫌いで何にでも一所懸命ですし、CAD仙人のSさんも、私と同世代のY2さんも大学生の私から見ると尊敬できる方ばかりでした。たった3か月くらいでしたが、あの時のあの会社は素人の私が見てもすごかった。

 この会社は、従来45日かかっていた金型製作工程を45時間に変え、金型の風雲児と呼ばれ、日本のほぼすべての携帯電話の製造にかかわったインクスです。その社長は山田眞次郎社長です。バイトの分際ではありますが、インクス創業期に携わることができたのはこの上ない幸せなことだったと思います。インクス出身の優秀なエンジニアが世間から評価されてインクス・マフィアと呼ばれていますが、いま世間で活躍している真のインクスマフィア以上に山田社長を近くで見れた気がします。